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ケンブリッジ(英語:Cambridge、漢字:剣橋)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州東部に位置する都市。チャールズ川を隔ててボストンの対岸に位置する。市名のもととなったイギリスの同名の都市同様、全米を代表する大学都市であり、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学がキャンパスを構えている。人口は101,355人(2000年国勢調査)。2004年の推計では100,771人に減少している。 ケンブリッジはミドルセックス郡の郡庁所在地であるが、郡政府は1997年に廃止された。現在、郡の公務員は州政府のもとで働いている。 ==歴史== ケンブリッジは1630年に清教徒たちの入植地としてつくられた町で、当初はニュータウン(Newtowne)と呼ばれていた。当時マサチューセッツ湾岸にはボストンやニュータウンをはじめ、このような町がいくつもつくられていた。その6年後、1636年には牧師を養成するため、全米最初の大学となるハーバード大学がニュータウンにつくられた。翌々年の1638年、本国イギリスの大学都市ケンブリッジにちなんでニュータウンはケンブリッジと改名された。 ケンブリッジはマサチューセッツ植民地の主都ボストンに隣接する農村として成長していった。独立戦争が開戦した頃には、ケンブリッジの住民の多くはハーバード大学の近くに住んでいた。住民の多くは入植した清教徒たちの子孫であったが、中には不動産、投資、通商などで財を成したエリート層もいた。こうしたエリート層は''The Road to Watertown''と呼ばれる道に沿って豪邸を建てて住んでいた。独立戦争後、こうした豪邸は売却され、戦争の功労者たちの手に渡った。 1792年にチャールズ川に橋がかけられ、ボストンとの交通路が確立されるとケンブリッジは急速に発展し始めた。1809年にはチャールズ川に2本目の橋が架けられた。川沿いの湿地帯は住宅地へと変わった。やがて市内にターンパイク(現在の高速道路の元祖)が開通した。ほぼ同時期に鉄道も開通し、ケンブリッジと郊外との交通路が確立されたことによって、郊外の村も住宅地としての急速な発展を遂げた。 1846年にはマサチューセッツ州でボストンに次いで2番目となる市への昇格を果たした。この頃、商業の中心地はハーバード大学のあるハーバード・スクエア(Harvard Square)から現在のダウンタウンであるセントラル・スクエア(Central Square)へと移っていった。 1920年頃、ケンブリッジは人口12万人を抱えるニューイングランド有数の工業都市であった。しかし1929年の大恐慌や第二次世界大戦後の産業構造の変化の中で、次第に工業都市としてのケンブリッジの地位は低下していった。一方で、ハーバード大学に加え、1912年にマサチューセッツ工科大学がボストンから移転してきたことも相まって、ケンブリッジは全米に名だたる学術都市としての地位を確立していった。 1950年代以降、市の人口は次第に減り始め、家族が郊外へと転出する一方で独身者や若い夫婦が増え、人口構成に変化が見られるようになった。20世紀終盤には、ケンブリッジはアメリカ合衆国北東部で最も家賃の高い都市のひとつであった。その家賃の高さ故に、ケンブリッジに生まれ育ち、長く居住する者が少なく、人口の流動性が激しい。現在では市の人口の4割が独身者である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケンブリッジ (マサチューセッツ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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